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広島地方裁判所呉支部 昭和42年(ワ)119号 判決 1969年2月12日

原告

西龍雄

ほか一名

被告

橘高清士

ほか一名

主文

一、被告らは、各自、

原告西龍雄に対し金九〇万円

原告西里子に対し金九〇万円

及びこれらに対する昭和四二年七月二日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

四、この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

被告らは各自、原告龍雄に対し金一〇〇万円、原告里子に対し金一〇〇万円、及びこれらに対する昭和四二年七月二日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。なお、仮執行の宣言を求める。

二、被告ら

原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、請求原因

一、交通事故の発生

被告藤井は、昭和四一年一二月二五日午後五時三〇分ごろ、普通貨物自動車(広四の二七七七号)を運転し、広島県豊田郡安芸津町大字風早、芸陽バス安芸津車庫前付近の国道一八五号線を西から東に向けて進行中、同国道を歩行横断しようとした西龍一郎に衝突し、その結果、龍一郎ははねとばされて頭蓋骨々折、頭蓋内出血等の傷害を被り、同日午後六時三八分ごろ、同町大字風早、安芸津記念病院において、呼吸麻痺、心臓衰弱により死亡した。

二、責任原因

(一)  被告藤井の責任

本件事故は被告藤井の過失により発生したものである。すなわち、被告藤井は、前記国道を約六〇キロメートル毎時の速度で東進し、芸陽バス安芸津車庫前付近の交差点を直進通過しようとしたが、折から前方から対向して来た普通乗用自動車一台と、同交差点の手前ですれ違うことになり、自車のライトをスモールにしたのと右対向車のライトとの関係から、同交差点の右側道路に対する見透しが一時困難な状況となつた。このような場合、自動車運転者としては、相当の減速をなし、かつ、絶えず前方を注視し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。しかるに、被告藤井は右注意義務を怠り、漫然同一速度のまゝ運転進行して同交差点の約二〇メートル手前で前記対向車とすれ違おうとした過失により、同交差点の右側道路から龍一郎が交差点に向つて右側から左に横断しようとして出て来たのに対し、同人との距離約二二メートルに接近してはじめてこれを発見し、急停車の措置を講じたが間に合わず、自車の前部左側を同人に衝突させて同人をはねとばし、約一七、八メートル先の水田に転落させたものである。従つて、被告藤井は本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

(二)  被告橘高の責任

被告橘高は、橘高モータースの名で自動車修理業を営むものであつて、事故当時本件加害自動車を所有し、また被告藤井を従業員として雇傭し、自動車の修理、運転等の業務に従事させていた。そして本件事故は、被告藤井が右業務上本件加害自動車を被告橘高のため運行の用に供し、その運行供用中に生じたものであるから、被告橘高は龍一郎の生命を害したことによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

三、損害

(一)  龍一郎の得べかりし利益の喪失による損害

龍一郎は、原告両名の長男で、昭和三六年一〇月一六日に生れ、事故当時年令満五才余で健康に発育し、安芸津町風早幼稚園に入園していた。厚生省大臣官房統計調査部刊行第一〇回生命表によれば、龍一郎の平均余命は六二・四五年であるから、同人は、本件事故がなければ、右程度の期間生存し得たはずであり、その間、満二〇才から向う四〇年間就労して収入をあげることができたはずである。そして、労働大臣官房労働統計調査部編「労働統計年報昭和三九年」の全労働者男子の平均現金給与表によれば、昭和三九年の男子労働者の毎月受け取る平均給与額は、二〇才から二四才まで(二五才未満)金二万三、一〇〇円、二五才から二九才まで金三万円、三〇才から三四才まで金三万五、七〇〇円、三五才から三九才まで金三万九、五〇〇円、四〇才から四九才まで金四万四、〇〇〇円、五〇才から五九才まで金四万一、九〇〇円であるから、龍一郎は、前記稼働期間中、その年令の推移に応じ毎月少なくともこれと同額程度の収入を得られたはずであり、これを計算すると、龍一郎の年間収入は、二〇才から二四才まで毎年各金二七万七、二〇〇円、二五才から二九才まで毎年各金三六万円、三〇才から三四才まで毎年各金四二万八、四〇〇円、三五才から三九才まで毎年各金四七万四、〇〇〇円、四〇才から四九才まで毎年各金五二万八、〇〇〇円、五〇才から五九才まで毎年各金五〇万二、八〇〇円となる。右各期の収入額につき、ホフマン式計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除し、これらを合算して年金的純益の現在価額を算出すると、金五〇六万五、七七九円となる。

ところで、右収入をあげるに要する生活費等の必要経費は、就労当初にはじまり、概ね独身のころは収入に比しその生活費の占める割合は大きく、結婚して世帯を構え、さらに子供をもうけるという推移に伴い、世帯主としての生活費の占める割合は多くなる反面、収入も上昇するので、収入に対する割合は減少する傾向にある。そこで、龍一郎の前記稼働開始時期、その終期、稼働可能年数及び収入額の推移等を考慮して、その得べかりし利益の喪失による損害について、蓋然性の高い数値を求めるためには、収入より控除すべき生活費等の必要経費として、全稼働期間を通じて収入の五割とするのが相当である。

よつて、龍一郎の得べかりし利益の現価は、前記金五〇六万五、七七九円の二分の一である金二五三万二、八八九円である。

(二)  龍一郎の慰藉料

諸般の事情から金五〇万円が相当である。

(三)  原告らの相続

龍一郎の相続人は、その父母である原告ら両名であるから、原告らは、龍一郎の被告に対する右(一)及び(二)の損害賠償債権合計金三〇三万二、八八九円を二分の一宛、すなわち各金一五一万六、四四四円宛相続することになる。

(四)  原告ら固有の慰藉料

事故当時、原告らはそれぞれ三〇才であり、長男である龍一郎、二男である恒孝(二才)とともに、四人家族で幸福に暮していたが、龍一郎を失つて多大の精神的苦痛を受けた。これによる原告らの慰藉料としては、各金五〇万円が相当である。

(五)  以上原告らの有する損害賠償債権は各合計金二〇一万六、四四四円となるが、原告らは、自動車損害賠償責任保険金一五〇万円を受領したから、その二分の一にあたる金七五万円宛をそれぞれこれに充当すると、原告らの債権額は各金一二六万六、四四四円となる。

四、よつて被告ら各自に対し、原告龍雄はその内金一〇〇万円、原告里子はその内金一〇〇万円、及びこれらに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四二年七月二日からそれぞれ支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告らの答弁

一、請求原因一、の事実は認める。同二、(一)の事実中、被告藤井が同国道を東進中、普通乗用自動車が対向して来て、事故現場手前ですれ違うこととなり、自車のライトをスモールにしたことは、認めるが、その余は否認する。同二、(二)は、被告橘高に損害賠償義務があるとする点を除き、その事実関係は認める。同三、の事実中、龍一郎が原告らの長男で、昭和三六年一〇月一六日生れであり、事故当時幼稚園児であつたことは、認めるが、その余はすべて知らない。

二、被告藤井には過失はない。すなわち、被告藤井は、当時制限速度内である毎時六〇キロメートル以下の速度で前照燈を照射し、かつ、前方を十分注視しつゝ運転していた。ところが、事故現場にさしかかる直前に対向車とすれ違つた直後、進路前方約二〇メートルの十字路を、右から左へ横断しようとして駈けている龍一郎を発見し、直ちに急停車の措置を講じたが及ばず、同人をはね飛ばしたもので、事故現場の状況及び時刻では、何びとも同人の如き小児が突然進路上に飛び出してくることを予見することは至難であり、被告藤井に自動車運転上の過失を求めることはできない。

けだし、事故現場は、六〇キロメートル毎時の高速度で自動車が通行できるよう道路全部を舗装し、センターラインを設けた幅員七・六メートルの国道一八五号線の見通しのきく直線コースである。そして、その付近には、国道と交差する狭い通路があり、龍一部はそこから国道上に出てきたのであるが、右通路は道路とはいえないものであり、従つて現場は交差点とはいえない疑いのある場所で、被告藤井に徐行義務はない。すなわち、右交差道路は、片方が海岸または河口の護岸になつている堤防であつて、当時の有効幅員約二メートルの未舗装のもので、こゝを通行するのは付近に点在する数軒の居住者位いのものであり、日常まれに通行するものがあるが、夜間は通行人もとだえる程度の田圃道に等しい道路である。右道路を通つて国道を横切ろうとする歩行者は、右道路を出たところで一たん立ち止り、左右の国道上の高速車の有無並びに安全を確めてから横断するのを通例とする。従つて、同所を通過する自動車運転者は、通常徐行、警笛の吹鳴などをなすことなく、高速運転をしているのが実情であり、かつ、このような実情は、今日の交通事情と現場の状況から許されるべきものである。殊に、事故当時においては、龍一郎がそこから出てきた現場南側の右道路の国道への出口付近には雑草が生い繁り、事前に同人の姿を発見することが困難であり、かつ、前記のとおり事故直前に対向車とすれ違つたゝめ、同人の動作を事前に見ることができなかつたのであるから、たとえ原告ら主張のように被告藤井が減速徐行していたとしても、衝突地点から停止地点まで一四・四メートルスリップしていることが明らかである以上、なお本件事故を避けることはできなかつたのである。

これを要するに、本件事故は、責任能力のないわずか五才余の小児である龍一郎を、すでに周囲も暗くなり懐中電燈を持たなければ歩行にも危険を感ぜしめる時刻に、自宅から一〇〇メートル以上も離れた通行人稀なところを、高速車の疾走する国道へ向つて独りで買物にやらせた原告らの親としての監護義務の懈怠に基因するものである。そのため、龍一郎は、道路交通法第一三条所定の歩行者の義務を無視し、通り過ぎた自動車の直後を、反対側に渡ろうとして車道に走り出、本件事故となつたものである。

三、被告橘高に責任はない。右のとおり、被告藤井に過失はなく、また、当時本件加害自動車に構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。

第四、証拠関係〔略〕

理由

一、請求原因一、の事実は当事者間に争いがない。

二、そこで被告藤井に過失があつたかどうか判断する。〔証拠略〕を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、本件事故現場は、ほゞ東西に通ずる直線平坦なコンクリート舗装された幅員七・三メートルの国道一八五号線と、ほゞ南北に通ずる幅員三・六メートルの非舗装道路とが十字に交わる交差点であつて、付近には芸陽バス安芸津車庫、バス停留所があるほか、人家が点在するのみで、当時日没後のこととてあたりは暗かつたが、国道上における前後左右の見通しは良く、そのさまたげとなるものはない。被告藤井は加害自動車を運転し、同国道を約六〇キロメートル毎時の速度で東進し、右交差点の手前にさしかゝつたが、折から前方から対向して来た普通乗用自動車一台と交差点の手前約二五メートル余りの地点ですれ違うこととなり、自車の前照燈をスモールにしたのと対向車の前照燈との関係から、同交差点の左右道路に対する見通しが一時困難な状況となつた(被告藤井が、事故現場の手前で対向車とすれ違うこととなり、自車の前照燈をスモールにしたことは、当事者間に争いがない)。ところが被告藤井は、同交差点の左右道路から人車が進出してくることもあるまいと安易に考え、同一速度のまゝ漫然と進行したゝめ、右対向車とすれ違つた直後、同交差点の右側道路から龍一郎が進出して同国道を右から左へ小走りに横断しようとしているのを、二一・九メートル前方に発見し、急停車の措置を講じたが間に合わず、自車の前部左側を龍一郎に衝突させて、龍一郎を一七・八メートル先の水田にはね飛ばした。かような事実が認められる。

右事実によれば、被告藤井は、同交差点の左右道路に対する見通しが一時困難となつたのであるから、直ちに相当の減速をするなどして、交差点の左右道路から進出してくる人車等の有無に注意し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務あるものというべきところ、被告藤井はこの義務を怠り、見通し困難なまゝ漫然同一の高速度で進行したゝめ、本件事故を避けることができなかつたのであるから、本件事故は被告藤井の過失によつて発生したものといわなければならない。

被告らは、同交差点の左右道路は、通行人もまれで、道路とはいえないものであり、そこから人が国道上に飛び出してくることは予見できない旨を主張し、殊に、龍一郎がそこから飛び出して来た右側道路の国道への出口付近には雑草が生い繁つていて、龍一郎の姿を発見するのが困難であつたとして、被告藤井の過失を否認する。〔証拠略〕によれば、右道路は片方が海岸または河口の護岸になつている堤防であつて、夜間の通行人は少ない道路であるが、被告藤井は、付近をよく通行していて同交差点の存在を熟知しており、付近にバスの車庫や停留所があり、昼間は人通りもあつて、ある程度危険な場所であることを認識していたことが認められ(なお、本件は夜間といつても日暮れ時の事故である)、また、右側道路の国道への出口付近に見通しをさまたげるような雑草が生い繁つていたとは認められないから(〔証拠略〕中、右認定に反する部分は信用しない)、被告らの右主張は採用できず、龍一郎に不注意があつたかどうかは別として、被告藤井に前認定の過失がなかつたということはできない。

従つて、被告藤井は直接の不法行為者として、本件事故による損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。

三、次に、請求原因二、(二)の事実関係は当事者間に争いがない。

そして被告藤井に前認定の過失がある以上、被告橘高の免責の抗弁は失当であり、被告橘高は自動車損害賠償保障法第三条により、龍一郎の生命を害したことによる損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。

四、本件事故によつて生じた損害の額

(一)  龍一郎の得べかりし利益の喪失

(1)  龍一郎が原告両名の長男で昭和三六年一〇月一六日生れ(事故当時年令満五才二ケ月)であり、当時幼稚園児であつたことは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、龍一郎は健康体で発育も順調であつたことが認められるところ、厚生大臣官房統計調査部第一〇回生命表によれば、満五才の日本人男子の平均余命は六二・四五年であるから、本件事故がなければ、龍一郎はなお六二年間(満六七才まで)生存し得たはずであり、その間、満二〇才から六〇才までの四〇年間一般労働に従事して収入をあげることができたはずである。

そして〔証拠略〕によれば、昭和三九年における男子労働者の毎月受け取る給与額の平均は、二〇才から二四才まで金二万三、一〇〇円(年額二七万七、二〇〇円)、二五才から二九才まで金三万円(年額三六万円)、三〇才から三四才まで金三万五、七〇〇円(年額四二万八、四〇〇円)、三五才から三九才まで金三万九、五〇〇円(年額四七万四、〇〇〇円)、四〇才から四九才まで金四万四、〇〇〇円(年額五二万八、〇〇〇円)、五〇才から五九才まで金四万一、九〇〇円(年額五〇万二、八〇〇円)であることが認められるから、特段の事情の認められない本件の場合、龍一郎は前記就労期間中、その年令の推移に応じ、右と同程度の収入を得べきものと推認して差し支えはない。

一方、右収入をあげるに要する必要経費たる生活費の額は、年毎に変動し、通常は収入の上昇に伴つて高額化するのが一般であるけれども、その収入に対する割合は、おゝむね独身のころは高く、結婚して世帯を構え、子供をもうけ、それが成長するに従つて漸次減少する傾向にあるということができる。そして、総理府統計局編集第一五回日本統計年鑑(四〇〇~四〇一ページ)によれば、昭和三八年度の全都市における勤労者世帯の年間平均消費支出は月額四万三、九二七円(世帯人員四・一七人)であるから、一人当りの平均支出額の月額一万五三四円(円未満切捨)となる。これらの事情と、龍一郎の前記就労開始時期、その終期、その期間中の収入額の推移等を考慮すれば、龍一郎の生活費としては、その全就労期間を通じてそれぞれの収入額の五割と認めるのが相当である。

結局、龍一郎は前記収入額の二分の一の純益、すなわち、二〇才から二四才までは毎年金一三万八、六〇〇円、二五才から二九才までは毎年金一八万円、三〇才から三四才までは毎年金二一万四、二〇〇円、三五才から三九才までは毎年金二三万七、〇〇〇円、四〇才から四九才までは毎年金二六万四、〇〇〇円、五〇才から五九才までは毎年金二五万一、四〇〇円の純益を得べかりしものであつたということができる。

そこで、本件事故当時を基準として、龍一郎が満二〇才に達するまでの一五年間は純益がなく、その後満六〇才に達するまでの四〇年間、毎年末に前認定の年金的純益があるものとして、ホフマン式計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除して、その現在価額を計算すると(その計算方法は別紙のとおり)、金三二六万七、五一三円となる。

(2)  過失相殺

ところで本件事故は、すでに認定したところから明らかなように、わずか五才の幼児である龍一郎が、日没後に、しかも自動車等が高速度で頻繁に通行する国道を、一人で横断しようとして、対向車の通過直後に、左右の交通の安全を確かめないでいきなり国道中央に向けて走り出した際に、生じたものであつて、〔証拠略〕によれば、龍一郎は母である原告里子から一人で買物に行くことを命ぜられ、その途中同国道を横断しようとしたものであることが認められる。およそ、交通頻繁な国道を横断せんとする歩行者は、疾走する自動車の動向を注視し、いやしくも自動車の直前直後を横断する等、危険な方法で横断してはならないことはいうまでもない。そして〔証拠略〕によれば、龍一郎は幼稚園への通園路として本件事故現場を平素から一人で通行しており、また、ふだん原告らから交通安全についての注意を受けていたことがうかゞわれるけれども、その年令から推して、事柄の理非善悪を識別し、これに応じた適切な行動をとる能力が充分でなかつたといわざるを得ないのであるから、父母である原告らにおいて、本件のような国道を、日没後に、しかも危険な方法で横断させることのないよう充分に監護すべきものであるのに、原告らは、龍一郎に対し一応の注意を与えたのみで、右監護義務を充分に尽さず、危険な方法で横断を敢行させたものであり、原告らには監護義務の懈怠があるといわなければならない。ところで、民法第七二二条第二項にいう「被害者に過失ありたるとき」とは、被害者本人が弁識能力の充分でない幼児の場合には、その幼児と身分上ないし生活関係上一体をなすとみられる関係にある者の過失を含むと解すべきものであるから、父母である原告らに右の監護義務の懈怠があり、かつ、これが本件事故発生の重要な一因を与えたことを否定し得ない以上、「被害者に過失ありたるとき」として、その損害賠償額を定めるにつきこれをしんしやくしなければならない。

そこで、被害者側の右過失を考慮すると、前記龍一郎の得べかりし利益の喪失による損害額のうち、そのほゞ六割にあたる金二〇〇万円を賠償させるのが相当である。

(二)  龍一郎の慰藉料

本件事故の態様、双方の過失の程度、龍一郎の年令、その他諸般の事情を考慮すれば、龍一郎自身の被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては金三〇万円をもつて相当と認める。

(三)  原告らの相続

原告らは父母として、龍一郎の有する右(一)の金二〇〇万円、(二)の金三〇万円、合計金二三〇万円の損害賠償請求権を、相続分各自二分の一の割合で相続したものというべきであるから、原告らは各自金一一五万円の請求権を取得したことになる。

(四)  原告ら固有の慰藉料

〔証拠略〕によれば、本件事故当時、原告らはいずれも年令満三〇才で、長女、長男、二男とともに五人家族で生活し、原告龍雄は工員として会社に勤め、月収約六万円を得、ほかに、妻である原告里子とともに農業にも従事して年収約一五万円をあげていたことが認められるところ、本件事故のため突如として長男を失い、多大の精神的苦痛を受けたことは容易にうかゞうことができる。そこで上来認定の、本件事故の態様、双方の過失の程度、龍一郎の年令、原告らの職業、収入、社会的地位、また、〔証拠略〕により認められる本件事故後における被告らの原告らに対してとつた態度、その他一切の事情を総合勘案すれば、龍一郎の死亡によつて原告らの被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては、原告ら各自につきそれぞれ金五〇万円をもつて相当と認める。

(五)  以上、原告ら各自の有する損害賠償請求権は、それぞれ合計金一六五万円となるところ、原告らが自動車損害賠償責任保険から金一五〇万円の給付を受けたことは、原告らの自認するところであるから、その二分の一にあたる金七五万円宛をそれぞれこれに充当すると、その残額は原告ら各自につきそれぞれ金九〇万円となる。

五、そうすると、被告らは各自、原告龍雄に対し金九〇万円、原告里子に対し金九〇万円、及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四二年七月二日からそれぞれ支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務あることが明らかであり、原告らの請求は右の限度で正当であるが、その余は失当として棄却すべきものである。

よつて、民事訴訟法第九二条、第九三条、第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 松田延雄)

〔計算方法〕

(1) 138600円×(13.6160(期間20年の単利年金現価率)-10.9808(期間15年の単利年金現価率))=365238円(円未満切捨以下同じ)

(2) 180000円×(15.9441(期間25年の同上)-13.6160(期間20年の同上))=419058円

(3) 214200円×(18.0293(期間30年の同上)-15.9441(期間25年の同上))=446649円

(4) 237000円×(19.9174(期間35年の同上)-18.0293(期間30年の同上))=447479円

(5) 264000円×(23.2307(期間45年の同上)-19.9174(期間35年の同上))=874711円

(6) 251400円×(26.0723(期間55年の同上)-23.2307(期間45年の同上))=714378円

以上(1)ないし(6)の合計金 3,267,513円

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